どうしたら私たち幸せになれるのか。〈読書感想〉

ナカニシヤ出版 大坊郁夫編

「幸福を目指す対人社会心理学

を読みました。

 

読むに至った経緯

アドラー心理学いわく、すべての悩みの原因は人間関係が根本にあるらしいですね。

 

確かに学校でも、どんだけ勉強が嫌いでも、友達と遊んだり、人間関係充実してたら、まあたいていちゃんと通いますね。

 

仕事も、ブラックできつかったりしても、社内の人間関係が良好であれば

「みんなのためにがんばる」とか

支え合いとか、そういう気持ちが起こるんじゃないでしょうか。

まあまだ働いてないので分かりませんが、

 

だから幸福がどうとかって結局人間関係が重要なんですね。

 

そこで

良い人間関係構築のヒントを得るため

この本を手に取りました。

 

簡単に言えばコミュ力向上のため。

 

 

 

概要

簡単にいうとタイトルどおり、

 

「どうしたら幸せになれるのか

そもそも幸せって何なのか」

 

そういったものを人間関係、コミュニケーションを主軸に科学的に論じてくれています。

 

 

論文みたいになっていて、いろんな学者の論文とか研究成果を

編者がまとめて分かりやすくなっています。

 

とても面白かったです。

論文基調なので統計の取った方法とかは少し理解しづらかったところもありましたが。

 

おもしろかった話

 

①友人関係を強める方法とは

 

皆さん経験があるか分かりませんが、

 

普段友達と一緒にいて、

 

「あれ、なんだかこいつといっしょにいても今つまんないぞ」

とか

 

「なんで今までこのヒトと一緒にいたんだろうとか」

とか唐突に思うことありませんか?

 

ぼくよくあるんですよね。これが。

 

まあ大学で人間関係が希薄ってのもあるんですけど、

けっこう仲良くなってもいっしょにいる時間が一定経つと、

 

 

あれ喋ることないぞ、、、みたいな

 

そういうことよくあっちゃいます。

 

 

まあそれで幻滅しちゃうんですよね。悪い癖ですよ。

 

 

そういった状況を回避し、友人関係を維持するために

 

 

この本が言っているのは、

 

 

友人関係が長く続いても、

 

相手についてまだまだ知らないという不足感を持つこと、

 

とあります。

 

例えば、

 

友人Aは洋楽が好きっていうイメージでいたけど、

 

意外とアニソンも聞くって知ったら、

 

「へ~」ってちょっとなりますよね。

 

 

こいつにはまだまだおれの知らない側面がある!

って思ってるとその友人に対する興味は消えないってことでしょう。

 

逆に自分も相手にそう思わせることが大事で、

 

相手が知らない自分の側面を示せば良いんですね。

 

だから、何か自分の話をして

 

「○○ってそういうのも好きなんだ!初めて知った!」

とか

「初耳!」

とか言わせられるようにすればいいんでしょう。

 

 

このトピックは興味深かったです。

 

 

②コミュニケーションの系統

 

ある研究者が大学生138人に対し、コミュニケーションスキルのテストをしました。

 

人格テストや会話への参加意欲などのデータを得、

分析すると、コミュニケーション能力、系統別において

8つの種類分けができたそうです。

 

こちらがその図で

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まず表出系と反応系の二つに大別できます。

 

簡単に言えば話し好きか、聞き好きの違いです。

 

上に行けば行くほど能力は高くなっています。

 

具体的にどんな能力があるかと言うと、

 

 

最も能力の高い

万能型は言わずもがな、話し上手で、聞き上手のタイプです。

 

皆さんの周りにも一人くらいいるんじゃないでしょうか。

しっかりと盛り上げてくれるし、人の話も聞いてくれる人。

 

ただ割合としてはこれも少なく全体の約8パーセントほどしかいません。

 

次に能力が高いのは、受動型(11パーセント)、能動型(10パーセント)です。

 

話し上手なタイプが能動型、聞き上手なタイプは受動型で、

 

万能型には劣るものの、

 

 

自己統制力、関係調整力や外向性など多くの能力が全般的に高く、

 

さらに自分の得意分野では最大級の活躍ができます。

 

能動型の得意分野は

能動型表現力、自己主張

 

受動型は

受動型理解力、他者寛容。

 

しかしその分苦手分野もあり、

 

受動型なら、自己主張や、表現力が弱く、

 

能動型は他者寛容性などが弱いみたいです。

 

この二つはコミュニケーション能力を総合してみると

同程度ですが、方向性とか、会話のスタイルが真逆と言うことです。

 

万能型がすごすぎるだけで、これらのタイプも十分会話上手と言えるでしょう。

 

 

次にそれらの下位互換が続きます。

 

 

 

コミュ力が高いか、低いかのラインは、ここです。

自制型、主体型を含めそれら以下は低スキルとされてます。

 

 

ちなみに凡庸型が割合としては最も多い27パーセントです。

大体三人に一人は凡庸型って、、、

 

 

ぼくも凡庸型ですわ、、

 

 

表出系の最下層の我執型は、自己主張が強すぎる人。

 

グループディスカッションで最も一緒になりたくないタイプですね。

 

 

 一番少ないのは回避型で、割合は5.8%。

 

人とコミュニケーションがとりたくないって人ですね。

 

ぼっちとかそういうタイプの人が多いのかな。

 

これらタイプわけを踏まえ、

 

 

コミュニケーション能力を上げるために大事なことは

自分がどの型に入るのかを理解して、うえを目指すこと。

 

 

凡庸型の僕は、万能型は無理でも

受動型を目指すべきってことですね。

 

ここで下手に能動型を目指してもだめって事です。

 

なんかこれってハンターハンターの念みたいですよね。

 

カストロは強化系なのに、操作系、具現化系の能力を見出してしまい、

結果ヒソカに殺されると、、、

 

気をつけましょう。

 

 自分がどのランクか、見極めて努力するのが大切です。

 

 その他の話

 

 ほかにも自己露呈とか複数観衆問題とか、

 

なかなか普段コミュ力や人間関係について悩んだりしている人は

 

あの気まずさはそういうことだったのか!

とか

 

だからあの人と仲良くなれないんだ。

 

みたいな納得ができる知識を知るができるので、

 

読んでみてはいかかでしょうか。

では!

 

 

幸福を目指す対人社会心理学―対人コミュニケーションと対人関係の科学

幸福を目指す対人社会心理学―対人コミュニケーションと対人関係の科学

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「われわれはなぜ死ぬのか」  読書感想

柳澤桂子著 「われわれはなぜ死ぬのか」 草思社

を読みました。

 

なぜこの本を読むに至ったか。

ぼく今大学4年なんですよ。それでまあ就活というものがあるわけなんです。

その中で就活がうまくいかない学生は、就活中盤あたりでこう考えることが鉄板なんです。それは

 

「自分ってなんで生きてんだ」と。

 

唐突に生きる理由を探す。笑

 これはおそらく就活で初めて、真剣に自分の生き方とかで悩んだってことでしょう。

 

会社を受けても受けても、祈られ続け、なぜこんなにつらいことをするために

自分は生きないといけないのか、

そう考えるわけです。

 

NARUTOでマダラが無限月読をした気持ちがひしひしと分かるんですよ。

誰もが幸せなら、それが真実じゃなくて夢の中の世界でもいいんじゃないか。と。

 

ナルトのやつは僕だけですかね。

 

ぼくも御多分に漏れず生きる理由みたいなのをその時期に初めて考えるようになった学生で、

就活終わったらそういう疑問について考えさせてくれる本を読もうと考えました。

 

 

人間がなんで生きるかって非常に難しい問題だとは思うんですけど、生物学みたいな理系的な側面と、

哲学の文系的な側面から考えることが出来るかなと考えました。

 

 

それでその2つを併せ持ったような科学哲学なる分野があるんだと知ったんですね。

 

科学哲学って要は、科学が発展してきた中で人間がそれをどうとらえて、考えるかかみたいなもんで、(適当)

なんだか惹かれました。

 

例えば、宇宙とかヒトを作りだしたのは、インテリジェントデザイナー(神)なのか、否か、とかそういう議論ってなんだかワクワクしません?

中2心をまだ忘れていません。

 

 

それで大学の図書館でパーっと科学哲学を検索かけまして、この本に出会いました。

 

感想

はい。少し難しかったです。正直まあまあ飛ばしました。

簡単に概要としては全10章あるうちの、2章までで人間の歴史の中で

どう死を捉えてきたか。

後の8章が生物学的に「死とは」っていうのを解説というか、説明してくれています。

 

最初の2章はすいすい読めるんですけど、そこから少しね。生物の専門的な情報が多かったです。

僕ばりばりの文系で3年前のセンター試験、生物確か70点ぐらいでしたかね。

まあ高校生物を一通りやっておいたら、ある程度は読めるのではないでしょうか。

割と教科書的に知識を得ることは出来そうです。僕は無理でしたがね。

 

興味深かったのは、死っていうものが、2種類に類別できるみたいなところですね。

 

死の起源が2種類で違うんだと。

まず生命誕生まもない、原始の海を想定してみましょう。最初の細胞みたいなものが海を漂っている状態です。

 

その中で、例えば海の温度がその生物の適応できる温度から下がりすぎたり、上がりすぎたら、当然死にますね。他に栄養を摂取できるものがなくなったり、毒物を摂取したりしても死にます。

 

「これがおそらくもっとも根源的な死の形態であろう」と筆者は言っています。

 

もう一つが、自ら選ぶ死です。

 

 

原始の地球ではオゾン層がありませんでした。

そのため生物にとって有害な紫外線が降り注いでいたんですね。

なぜ有害かというと生物のDNAを破壊するからです。

 

そのため生物は傷ついたDNAを修復する機能を得るよう進化しましたが、

さらに修復不可能な傷を負ったDNAを持つ細胞を自ら破壊する機能もまた進化したとされています。

 

これが筆者はこれを「機構をもった能動的な細胞死」と言っています。

 

1つ目の死が周りの環境が直接原因となって、残念ながら死んでいるのに対して、

二つ目は自ら死ぬためのシステムを構築して死を選んでいる点で違うということでしょう。

 

人間で考えてみると、例えば餓死とか、ナイフで刺されての死亡とかが一つ目の死にカテゴライズされる一方で、

 

老いとか、老衰が二つ目に分けられるのかな。

 

とか思ってます。 

 

 病気はどうなんでしょうね。

 

そして「われわれはなぜ死ぬか」なんですけど、

一つ目の死の要因は置いといて、

二つ目の「機構を持った能動的な死」のシステムが太古より、私たちの遺伝子に刻まれ続けているから、進化してヒトになっても、いまだ死があるってことなんでしょうか。

 

ではなぜそのシステムが生じたか、それはダメージを負った細胞を排除するため、

 

そしてなぜ排除するのかといえば、ダメージを負ったDNAを持つ細胞を排除することによって、他の細胞さんに迷惑かけないようにするためなんじゃないか、

結局他が生きるために死があるんじゃないかと。

 

生きるために死ぬ 

 

そういうことなのかな。

 なんだか誰もが一瞬で思いつく結論に至りました。

 

でもまあそう考えると死って意味のあるものなんでしょうけど、

残念ながら人間は脳が発達して死を意識できる存在になってしまい

 

無の概念とか0の概念とかも相まって、死が恐怖そのものになっているんじゃないのかしら。

 

はい。語ってみました。根拠とかはないです。

 

生きるってことを、その表裏一体で、必ず最後に訪れる、「死」というもの

から逆算して考えてみるのもおもしろいですね。

 

では!